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モンテカルロ × 企業価値評価

確率論的DCF入門
不確実性は、可視化できても消せない

DCF法は小数点まで答えを出してくれます。でもその入力は、すべて予測です。 一つの数字ではなく分布として扱うと何が見えるのか——そして ゴードン成長モデルに潜む特異点と、平均が代表値として使えなくなる理由まで。 手を動かして確かめられる入門です。

DCF法 モンテカルロ法 継続価値 分布

[ 0 ] はじめに

「企業価値は1,713です」と言えるのか

DCF法(割引キャッシュフロー法)は、将来のキャッシュフローを現在価値に割り引いて企業の価値を求める方法です。 計算そのものは四則演算で、表計算ソフトがあれば誰でもできます。答えは小数点まで出ます。

ただ、入力を思い出してください。成長率も、割引率も、永久成長率も、全部予測です。 誰も知らない未来の数字を置いて、そこから精密な答えを出している。 前提をほんの少し動かすと、答えは大きく変わります。

そこで発想を変えます。入力を一つの値ではなく、範囲(分布)で与える。 すると答えも一つの数字ではなく、分布として返ってきます。これが確率論的DCF——モンテカルロDCFです。

はじめにお断りしておきます。 この記事は技術の解説を目的とした教育コンテンツであり、投資助言ではありません。 登場する数値はすべて架空の設定で、特定の企業や証券とは無関係です。 また、ここで扱う手法が投資判断の妥当性を保証するものでもありません。
[ 1 ] 構造

答えの7割は、「永久の話」で決まる

DCFの企業価値は、大きく2つの部分に分かれます。

企業価値 = 明示予測期のPV + 継続価値のPV 明示予測期=5年程度の具体的な予測/継続価値=それ以降の永久部分

実際に置いてみます。初年度のフリーキャッシュフローを100、明示予測期の成長率を5%、 永久成長率を1%、割引率(WACC)を8%、予測期間を5年とすると——

内訳現在価値比重
明示予測期(1〜5年)459.826.8%
継続価値(6年目以降)1,253.373.2%
企業価値1,713.1100%

継続価値が73.2%。 5年分のキャッシュフローを一つずつ丁寧に積み上げても、 答えの4分の3は「6年目以降の永久」で決まっています。 そしてその永久部分がいちばん根拠が薄い——ここが出発点です。

なぜ継続価値が大きくなるのか

明示予測期を10年に伸ばしても、比重は下がりますが消えません。永久に続くキャッシュフローの現在価値は、割引率が成長率をわずかに上回るだけなら非常に大きな値になるからです。この性質が、次の節の話につながります。

[ 2 ] 既存の方法

感度分析では、足りない

前提が不確かなことは、もちろん知られています。よく使われるのが感度分析です。 WACCを±1%動かし、成長率を±1%動かして、表を作る。

これで2つのことが分かりません。

① 同時に動いたときが分からない

感度分析は入力を1つずつ動かします。でも現実には、成長率もWACCも同時に外れます。 「WACCが1%高く、かつ成長率が2%低い」ような組み合わせの影響は、表からは読み取れません。

② 起こりやすさが分からない

強気ケース、標準ケース、弱気ケース——という3点の表を見ても、 それぞれが何%の確率なのかは書かれていません。 弱気ケースが起こる確率が30%なのか1%なのかで、意味はまったく違います。

だから入力を分布で与えます。「WACCは7%くらい、たぶん±1.5%の幅」という形で。 組み合わせは乱数が作り、結果は頻度を持った分布として返ってきます。

[ 3 ] 手法

分布で入れる — モンテカルロDCF

やることは単純です。

手順内容
① 入力に分布を与える各パラメータに平均と標準偏差を設定
② 乱数で1組を引くg・WACC などを分布から1つずつサンプリング
③ DCFを1回計算その組み合わせでの企業価値を求める
④ 数万回繰り返す結果を集めて分布にする

DCF1回の計算はごく軽いので、5万回でもブラウザで一瞬です。 得られるのは企業価値のヒストグラムと、「ある金額を上回る確率」のような形の答えです。

正規分布を使うのは、便宜です。 この記事では入力に正規分布を仮定しますが、現実の予測誤差が正規分布に従う保証はありません。 成長率は下に限界がある一方で上には伸びる、といった非対称性もあります。 分布の形そのものが仮定であることは、忘れないでおきたい点です。
[ 4 ] 落とし穴

特異点 — 分母がゼロに近づく

継続価値の計算には、ゴードン成長モデルを使います。

継続価値 = FCF × (1 + g) ÷ ( WACC − g ) g=永久成長率/WACC=割引率

分母を見てください。WACC − g。 g が WACC に近づくと分母がゼロに近づき、継続価値は無限に発散します。 g が WACC を上回れば分母は負になり、企業価値が負の値になります(計算として意味を持ちません)。

点推定では見えない

「WACC 8%、永久成長率 1%」なら分母は7%。余裕があるように見えます。 1回しか計算しないなら、特異点の存在に気づく機会はありません。

分布にすると、必ず引く

ところがサンプリングを始めると話が変わります。WACCが低めに出て、gが高めに出る組み合わせは、 いつか必ず引きます。数万回も試せば、分母が極端に小さい組み合わせが混ざる。 そこで計算された企業価値は、他の試行の何十倍にもなります。

これは手法の欠陥ではなく、モデルの性質です。 ゴードン成長モデルはもともと「gは永久にWACCを下回る」という前提で作られています。 その前提を、分布によるサンプリングが自動的に破ってしまう。 確率論的に扱うなら、この特異点を意識せずには使えません
[ 5 ] 自己診断

自分の想定は、危険域にいるか

特異点にどれだけ近いかは、簡単な比で測れます。 (WACC − g) が、その不確かさの何倍離れているかです。

余裕度 = ( WACC − g ) ÷ スプレッドの標準偏差 スプレッドの標準偏差 ≈ √( σ(WACC)² + σ(g)² )
用語について。 この「余裕度」はこの記事の中だけで使う便宜的な呼び方です。 一般的な金融用語ではありませんので、他の文献には出てきません。 統計でいうシグナル対ノイズ比の考え方を、この場面に当てはめただけのものです。

4つの想定で測ってみる

それぞれ5万回のシミュレーションを回し、結果の形を比べました。

想定余裕度計算不能歪み95%点
÷中央値
99%点
÷中央値
保守的(WACC 8±1 / g 1±0.5)6.30%1.031.41.6
一般的(WACC 7±1.5 / g 2±1)2.80.3%1.262.45.0
やや強気(WACC 6±2 / g 3±1)1.39.4%1.935.719
強気(WACC 6±2 / g 4±1.5)0.821.7%2.167.223

歪み=平均÷中央値(1に近いほど左右対称)。計算不能=g ≧ WACC になった試行の割合。

境界は、3あたり

余裕度が3を下回ると崩れ始めます。 「やや強気」では試行の9.4%が計算不能になり、99%点が中央値の19倍に伸びる。 「強気」では2割以上が計算できません。

注目してほしいのは「一般的」の行です。 WACC 7%±1.5、永久成長率 2%±1——これは特別に無茶な仮定ではありません。 実務でもよく見る範囲です。それでも余裕度は2.8で、 99%点が中央値の5倍に達し、平均は中央値の1.26倍に膨らんでいます。 危険域は、思ったより手前にあります。
ここでの数値について。 いずれも5万回試行の結果で、乱数の種を変えても歪み・95%点比・99%点比はほぼ同じ値になります。 一方最大値は種ごとに大きくばらつくため、指標としては使えません (同じ設定で66倍〜117倍まで動きました)。ここに最大値を載せていないのはそのためです。
[ 6 ] 入力の関係

独立に引いては、いけない

もう一つ、素朴にやると間違えるところがあります。 成長率とWACCをそれぞれ独立にサンプリングしてしまうことです。

独立に引くと、「成長率が平均より2%高く、かつWACCが平均より2%低い」という組み合わせが 普通に生成されます。高成長なのに低リスクという、都合のいい世界です。

現実には、正の相関がある

高い成長を見込む事業は、たいてい不確実性も高い。ベータが上がれば資本コストも上がります。 成長率とWACCには正の相関があるのが自然です。

相関を入れると、評価は下がる

同じ設定で相関を入れて回すと、分布の右側が縮みます。 「保守的」想定では95%点が 2,382 → 2,194 に下がりました。 つまり独立サンプリングは企業価値を過大に見せていたことになります。

仮定は、分布だけではない

入力の平均と標準偏差を決めることは仮定です。そして入力どうしの関係を決めることも、同じくらい仮定です。相関係数をいくらにするかに客観的な根拠はありません。ここでもデモで動かして、影響の大きさを見てもらう形にしています。

[ 7 ] 読み方

平均を、報告してはいけない

分布が得られたとき、つい平均を答えにしたくなります。それは避けたほうがよいです。

分布は右に歪む

特異点があるのは分母が小さくなる方向だけです。 WACCが高くg が低い組み合わせでは企業価値が小さくなりますが、 ゼロに近づくだけで、際限なく小さくはなりません。 一方、分母が小さい側では上限がありません。結果として右にだけ長い裾ができます。

平均は、少数の極端値に引っぱられる

「一般的」想定で平均は中央値の1.26倍、「強気」では2.16倍。 ごく一部の試行が平均を持ち上げています。 その平均を「企業価値の期待値」として報告すると、実態より高い数字を伝えることになります。

中央値と百分位で語る

伝えるべき形はこうなります。

避けたい言い方望ましい言い方
企業価値は1,713です中央値は1,713。50%の確率でこれ以上
期待値は2,927です5%の確率で1,455以下、95%の確率で5,535以下
レンジは1,500〜5,500です90%の試行がこの範囲に収まった(外れる可能性も10%ある)

分布を出したのに、要約で一つの数字に戻してしまうのは本末転倒です。 せっかく幅を計算したのだから、幅のまま伝える。それが確率論的に扱う意味です。

[ 8 ] 体感デモ

動かして、確かめる

入力の分布を動かすと、結果のヒストグラムがどう変わるかを試せます。 永久成長率をWACCに近づけていくと、余裕度が下がり、右裾が伸び、 平均と中央値が離れていきます。

Interactive · monte carlo DCF
確率論的DCF シミュレーター
5万回試行。初年度FCF=100、明示予測期5年に固定。数値はすべて架空の設定です。
成長率 g₁
 その幅 σ
永久成長率 g
 その幅 σ
WACC
 その幅 σ
余裕度(WACC − g)÷ スプレッドσ
0246+
企業価値の分布(99%点で打ち切り表示)
中央値 5%点 / 95%点 平均

「強気」プリセットを選ぶと、計算不能の割合が2割を超え、分布の形が崩れます。 そこから永久成長率のσを絞っていくと、余裕度が回復して形が整っていく。 入力の幅をどう置くかで、答えの信頼性そのものが変わることが手で分かります。

[ 9 ] まとめ

精密に見える、という危険

モンテカルロDCFは不確実性を可視化します。ただし、 減らしてはくれません。ここを混同すると、かえって危ないことになります。

5万回の試行が作る滑らかなヒストグラムは、いかにも科学的に見えます。 しかしその分布は、推測で置いた入力分布の上に乗っているだけです。 平均も標準偏差も相関係数も、誰かが決めた数字です。 入力があいまいなら、出力は精密に見えるあいまいさになります。

それでも点推定より優れている点があります。どこが脆いかが見えることです。 継続価値が7割を占めているという事実、特異点がすぐ隣にあるという事実、 入力の幅を少し広げるだけで答えが崩れるという事実—— 一つの数字を出す方法では、これらは全部隠れてしまいます。

この記事のまとめ

  • DCFの答えは継続価値が7割超を占める。いちばん根拠の薄い部分が支配している。
  • 感度分析では「同時に外れたとき」と「起こりやすさ」が分からない。だから分布で扱う。
  • ゴードン成長モデルには g → WACC の特異点がある。分布にすると必ずその近傍を引く。
  • 余裕度が3を下回ると崩れ始める。「一般的」な想定でも余裕度2.8で危険域の手前。
  • 入力を独立に引くと企業価値を過大に見せる。高成長と高リスクには正の相関がある。
  • 分布は右に歪むので平均を報告しない。中央値と百分位で語る。
  • 可視化は不確実性を見せてくれるが、減らしてはくれない
再度のお断り。 本記事は教育目的の技術解説です。投資助言ではなく、投資判断の根拠となるものではありません。 数値はすべて架空の設定であり、実在の企業や証券とは一切関係ありません。 実際の企業価値評価には、ここで扱っていない多くの要素(資本構成、非事業資産、 会計基準、市場環境など)が関わります。

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